社員の感動

ジェー・シー・アイは創業以来沢山の感動に出会ってきました。 社員一同、一年に一度その感動、感謝の気持ちを文章に書き表しております。 そんな皆様からいただいた感動の、ほんの一部をご紹介いたします。

球団創設9年目にして、東北楽天イーグルスが王者巨人を苦闘の末破って日本一になった瞬間、溢れるほどの涙が出ました。2年半前同じ球場で嶋選手が発した「見せましょう、東北の底力を」の言葉を聞いて私は野球で復興支援が行えるのか?ましてや優勝など夢のまた夢と思っていましたが、試合を重ねるにつれ被災者の方々と同じように勇気や感動をもらいました。私の会社も東北の企業です。被災した人たちの苦しさを知っているつもりです。楽天に負けじと、今以上に勇気や感動を与えられる企業になるべく頑張り、皆様に貢献できるようになりたいと思います。

2014年 営業担当

来年度就学に向けて学校に行く準備を始める児童は学校に上がる前は、全て母親にやってもらっている状態から、自分でやれることは自分でやるといった生活になります。それまではバギー車に乗って誰かに押してもらっていたものが、車いすに乗って自分で漕がなくてはいけません。親の中には助けがないと何もできないのではないかと考えている方が結構います。しかし、車いすができて初めて乗ったというにも関わらず自由に操作するわが子を見て感動する親、好きなところに自分の意思で行けることがわかり喜ぶ子供たち、そんな姿を見られるこの時期が私は好きです。子供たちが初めて乗る車いすが、喜ばしい物になるように漕ぎやすく扱い易い、それでいて恰好いいと言われるよう、一台一台心をこめて制作に取り組んでまいります。

2013年 営業担当

拝啓 東日本大震災様

あの日、あなたがいらしてからというもの、私達の生活は一変しました。大切な人やモノを失い、生きる気力さえも失いました。正直あなたを恨みました。それは、今でも変わらず一生背負っていくでしょう。でも、少しだけ感謝しています。

「人の温かさ」「普通の生活」がどれだけ尊いか、「今という瞬間」がどれだけ貴重であるか、私達が忘れかけていたものばかりです。

これからの私達を見ていて下さい。きっと、あなたが驚くほどの力で現状を打破し、元の生活以上の素晴らしい未来を築いていくことを。

2012年 営業担当

年をとるってどんなこと

*忘れっぽいというけれど一杯詰まった知恵の箱、出すのにちょっと迷うこと

*耳は遠いし眼もわるいあらゆるものをキャッチして、私を育てた疲れです

*腰が曲がるというけれどお世話になった人々に、感謝感謝の姿です

秋田魁新報に掲載された芹沢春江さんの92歳の詩です。この詩と出会い改めて「老い」について考えるきっかけとなり、あるがままの姿を受け入れることで一日一日を大切に生きていけるだろうと思う。

2011年 営業担当

ある施設に入所されている92歳の女性Aさんの車いすの御相談を頂きました。Aさんは姿勢が円背のせいもあって顔は下を向き笑顔も会話もなく日常生活動作の殆どに介助を受けており、現状に危惧を感じたスタッフとチームを組み本人の意欲の低下の要因とその改善方法を考えていきました。その時チームの大学教授から「サービス側の都合で支援していないか?」という疑問が投げかけられました。

その疑問を元に目標は(①自発的な行動の引き出し②行動範囲の拡張③食事など自分でできる力に気づいてもらう)でした。試行錯誤しながら車いすのフィッティングによりAさんの姿勢がよくなり、視野が広がり、また胸が開いて呼吸が楽になることで心肺機能の向上にも繋がり、同時にお尻の圧を分散させるクッションで床ずれの防止も試みました。結果、Aさんのそれまで見たことのない笑顔があり、ひょうきんな会話をしながら車いすを操作し、そして一人でお茶を飲む姿がありました。Aさんが自分の人生をエンジョイされていることに対し役割を果たした喜びと誇り、同時に声(自分の意見)を出せない方への支援を含めて、「支援」するとは何か?を改めて考えさせられる機会でした。

2010年 営業・技術担当

「カジマヤー」石垣島でのある光景です。覗いてみると派手に飾りつけたトラックの荷台に高齢の女性が座っている。「これは何ですか?」と尋ねると、「カジマヤーです」という。沖縄の長寿を祝う行事で97才になった老人を乗せてパレードをする。老人ホームでは手作りの神輿に乗せて施設の廊下を練り歩くそうだ。

「カジマヤー」とは“かざぐるま”のことでもある。長生きして子どもに戻ることを小さい頃の遊具で表現したらしい。長生きすればみんなが祝って喜んでくれる。だからこそ自分も長生きしたい。長生きしてもいいんだと思えるものだ。家族で親戚で隣近所で長寿を祝う。今の日本社会を考えれば何とも潤いをくれる話だと思い、感動し心を打たれました。

2008年 営業担当

改正介護保険で、サービスの見直しを余儀なくされたお客様の声。

「ベッドを利用する前は起き上がることもしんどくて一日のほとんどを寝室で過ごしていたけれど、ベッドを利用してからは起き上がるのがとても楽になり、家の中はもちろんのこと、外出する気分になれて、何より体の体調がよくなりました。今回は仕方の無いことなのでお返ししますが、ベッドがなくなっても今と同じ生活ができるようにがんばります。本当に本当にありがとうございました。」と言って深々と頭を下げられました。

改正介護保険に疑問を感じていた私は、全く予想していなかった言葉に驚き、改めて自立とは何かを考えさえられました。

2007年 営業担当

「こんな夜更けにバナナかよ~筋ジス 鹿野靖明とボランティアたち~」(渡辺一史著 北海道新聞社刊)を読んで心に残ったこと。

24時間介護なしでは生きられない鹿野さんは、「人に助けを求めることは、少しも悪いことじゃない。どんなことをしても生きたい。日本の福祉を変えたい。」といって自分の全てをさらけ出し、介助をしてもらうこととボランティアの人達に介助の仕方を一つ一つ教えるという先生役を両立させていた。

彼の“生きたい”という強い思いが周りの人達を自然に巻き込み成長させていく。ただ人の世話になっているだけに見える彼が多くの若者の人生を変えるだけの影響力をもって生き抜いたことに私は大きな感動を覚えた。

2006年 事務担当

私は、「神々が見ている」という言葉を座右の銘にしています。これはドラッカー著の“プロフェッショナルの条件”の中にある言葉で、紀元前440年頃、ギリシャの彫刻家フェイディアスが、アテネのパンテオンの屋根に建つ彫刻群を完成させ、その報酬を会計官に請求したところ、「彫刻の背中は見えない、誰にも見えないところまで彫って請求してくるとは何事か。」と言われた。それに対し、彼は次のように答えた。「そんなことはない、神々は見ている。」ということでした。それがプロフェッショナルであると…。

「福祉用具の消毒工程管理認定制度」で認定を頂くことができました。まさしく「神々が見ている」ごとく、福祉用具が体にフィットし安心して安全にお使いいただけるようにお客様の目に見えないサービスにも磨きをかけていく所存でございます

2005年 事務職員

世の中に本当に使い心地が良いと語れる車いすはどれだけ存在するでしょうか。本当に使いやすくて、座る人が気持ちよいと実感していただくための車いす「ハートランス」の試作機を見た時、やっとここまできたんだ~と目頭が熱くなるものを感じました。お客様にディサービスやご自宅で試乗していただき、デザインや機能や寸法の良し悪しなど、貴重なご意見を頂きました。そして使う人の体型に合わせることができる介護保険対応の「ハートランス」ができあがったのです。

座る愉しさと使う歓びを与える車いす「ハートランス」でありたいと感じるようになりました。座った瞬間から乗る人の生活までも輝いてくる、そんな車いすであるために、単なる進化ではなく、常に乗る人と響き合い、最高のパートナーとなることを目指していきたい。「ハートランスの」の開発を通じてとても多くのことを学ぶことができました。

ありがとうございました。

2004年 技術職員

「12月1日東北新幹線八戸開業」というポスターが目に付くようになったある日、A病院のT医師から「車いすの採寸があるから来て下さい。」と連絡が入り、訪問したところ「B君が仙台の大学を受験するので、はつかり号や新幹線に乗せやすくて通路も通れる電動車いすを作ろう。」といわれ、T医師を中心にリハビリの先生たちとのプロジェクトが始まりました。八戸駅長に手紙を書き訪問し改札口や電車内の通路幅等々細かく調べて外的条件を満たしながらB君の身体状況にフィッティングした車いす製作に入り、結果、座幅28cmのコンパクトな電動車いすが出来上がりました。その電動車いすは大学受験の為にB君の足となって東北新幹線「はやて号」に乗って仙台へ行くという。

B君の「さくら咲く」の電報が待ち遠しい。

2003年 営業担当

一家団欒の時、子供たちに足の不自由なおばあさんの家に階段昇降機を取り付けた時のことを話しました。「おばあさんの息子さんが、大変な思いをして階段を上り下りするのを見て注文してくれたんだけど“そんな高価な物いらないよ”って言われたんだ。でもそれは息子さんに悪いと思ってでた言葉なんだよ。」「それで息子さんはおばあさんを説得し、お父さんもおばあさんに“怖いでしょうが乗ってください。おばあさんなら大丈夫だと思います”と言って工事をはじめ、二日かかって作業をしたんだ。出来上がってから、おばあさんは“あんたが一生懸命やってくれたから乗らないとね”といって乗ったら“これは楽だ”と言ってくれたんだ。お父さんこの一言がすごく嬉しかったんだ。」「ふ~ん、お父さんって魔法使いだね。」「どうして。」「だっておばあさんが空とぶジュウタンに乗ったように自由に行ったりきたりできるんだもの。」お客様に感動を頂き、子供に励まされた私です。

2002年 営業担当

在宅で介護を受けているKさんのお宅に歩行器のレンタルで伺った時のことです。トイレに行くのに廊下を這わないと行けないほど足の筋力が低下しているKさんは丁度訪問入浴サービスを受けたあとでした。入浴で体力を使ったためか横になってかろうじて取扱説明を聞いていただくのがやっとの感じでしたが、同行していただいたケアマネージャーのSさんがKさんの耳元で「これで“歩みの会”に行こうな」と言った途端むくりと起きて「うん、やるよ、歩くよ」と言うや否や歩行器につかまり立ち上がろうとしました。勿論すぐには立てず、時間がかかりましたが、そのままゆっくり一歩ずつ歩き始めました。しかし、入浴後の疲れもあり途中で座り込んでしまいましたが、Sケアマネージャーの励ましのひと言が「ヤル気」を出したようです。私は当社の経営理念にあるように歩行器を通して自立へのお手伝いができることに働く喜びを知りました。

2001年 営業担当

定年退職後、夫婦水入らずのんびりと暮らすはずだったのに、奥さんが倒れ突然訪れた介護でした。ご主人にとっては家事に介護に初めてのことが一気に押し寄せたのです。福祉用具のことで相談を受け訪問したときは正直言って奥さんが寝たきりになるのは時間の問題のように思われましたが、ご主人はあきらめませんでした。自宅の浴室での入浴介助や奥さんと日中は茶の間で過ごすこと等、当たり前に家の中で生活できるようにと一生懸命でした。そこまでやらなくてはならないのかと正直、見ている私にとっても複雑な思いでいっぱいでした。そんなご主人の思いに奥さんも心を動かされあきらめずに頑張り一年後には歩行器を使い歩けるようにまでなりました。今、二人の夢は近くでも良いから旅行に出かけることです。この分だとその夢も叶いそうです。介護は二人三脚、息を合わせていくのが大切、最初から駄目だとあきらめず頑張ってみるのが大切だと教わりました。

2000年 営業担当

ある時、小さな女の子から可愛い手紙を頂きました。その子とは合ったことも電話をしたこともありません。2年前にオーダーメイドの車いすを作りその3ヵ月後に一度ストマを購入しています。手紙の内容は自分の近況と“ありがとう”でした。もとろん返事を書きました。何度目かの手紙に女の子のプリクラが貼ってあり“プレゼントです”と書かれていました。とても嬉しかった。とても可愛い女の子で勉強、ピアノ、水泳とハンディャップにも負けず一生懸命取り組んでいる姿が一枚のプリクラを通じて伝わってきました。

私は、その一枚のプリクラに励まされながら日々頑張っております。

1999年 営業担当

一人暮らしのおばあさんのところに歩行器を納品に行った時のことです。付近に住む家庭の主婦のAさんが納品に立ち合ってくれました。おばあさんの家は村の中でもポツンと離れたところにあるのですが、近所の人達が協力し合って、ある人は毎夕おかずを車で届けたり、隣の家の人は毎日様子を見にきたり、病院に行くとなれば車で送迎する人がいて住み慣れたところで安心してくらせるようごく自然に地域ぐるみで支え合っています。私はこのことに何ともいえない感動を覚え、私のしている仕事もおばあさんの自立の一助になっていると誇りをもつことができました。

1998年 営業担当

弊社のN営業員は筋ジストロフィー症に患った12才のA君から電動式車いすの改造を依頼されました。

N営業員は、早速、A君が自力で操作できるようにするために改造にとりかかりました。

あごにスイッチを持ってきたり、ストローや割箸をあてたりして幾度と無くテスト。A君の萎えた手や身体で操作できる形状や位置を見い出すまでに3時間以上もかかりました。

作業途中何度もN営業員はA君に“疲れた?”“やめようか”と聞いてもA君は“大丈夫”と言うばかりです。

やりとりをそばで見ていた同病のB君は、N営業員に「介助者に気を使い、自分の行きたい所にも行けなく自分の殻に閉じこもりがちになって気が滅入っていたが、電動式車いすに乗れるようになって世の中が変わった。」と言いました。自分の力で動きたいという思いの強さにN営業員は「どうしても車いすに乗ってもらうんだ。真剣さにおいて負けてはいけない。」と、その時強く思ったそうです。

1997年 管理者

N野球スポーツ少年団の三番打者のA君に脳性マヒの弟B君がおります。N監督はある日、打撃練習をしている子供達に何の指示もせずに、練習を見にきたB君に“バッターボックスに立ってごらん”といってバットを渡しました。B君は喜んでバッターボックスに立ち不自由な身体でバットを振りましたが当たりません。何回振っても当たりません。そのうち、練習に参加していた子供達は息の合ったようにB君のための守りをはじめ、ピッチャーはB君が打てるようなボールを投げ、何十球目かにバットに当てることが出来た時、子供達の真剣なまなざしは歓声に変わりました。健康な子供であっても、例え身体に障害があったとしてもこの子供達の世界に差別もいじめもない“思いやり”の世界だけがあるとN監督はしみじみと語ってくれました。

1996年 営業担当

昨年3月英国のレンプロイ社(障害者雇用工場)を視察する機会を得ました。車いすに乗っている妻と副社長夫妻との旅でした。ロンドンでの移動は専らタクシーでしたがそのタクシーが車イスとわかってもいつでもどこでも乗せてくれました。しかもタクシーの構造が車いすのまま乗れることでした。小型タクシーを止めた時はドアの巾が狭くそのまま乗れないと判断するとその運転手はドライバーを持ってきてタクシーのドアを取り外し乗せてくれました。またある運転手は身障者トイレがどこにあるのかも把握しておりました。人にやさしく、思いやりがあり、誇りを持って自分の仕事を全うしているのが印象的でした。

1995年

進行性筋ジストロフィー症という難病を患い車いすの生活を余儀なくされているK子さんに小学二年生の一人息子D君がおります。昨年12月、ボーナスのことがTVコマーシャルやニュースで流されるようになった時、D君はK子さんに対し“お父さん白い封筒頂戴!”といってそれまで貯めていた小使いの中から、千円札1枚、五百円玉1枚、十円玉2枚、一円玉3枚を入れ“お母さんへボーナス”と書いて渡しました。重度の障害を持ち、働くことはできないが立派に家庭を守っているK子さんは嬉しさと共にこみあげてくるものがありました。思いやりのある行為が感動を呼び、感動が心をひとつにする。そんな大切なものを心の糧として、私達は育み、努めさせていただきます。

1994年

昨年の夏、障害者団体の一泊旅行へボランティアとして参加した際、ご主人が難病により中途障害者になられた中年のご夫婦とお話しする機会を得ました。

ご主人は、後半生を障害者として暮らさざるを得ないことを知って「なぜ、私だけが……」となげき、家族の将来に対しても深く思い悩んだそうです。しかし、そんなご主人に夫人や子供達は、「喜びも悲しみも共に分かち合い、助け合うのが本当の家族の生活」と励ましてくれると同時に、「お父さんが障害を持ったことで、今まで知らなかった数多くの人々のおもいやりに出合えたし、人間のやさしさを知ることができて、むしろ心に中に幸せがふくらんだように思える」と言ってくれました。と輝いた瞳で語っておられたのが大変印象的でした。

1993年

ある筋ジストロフィー症の青年の成人式の時のことです。担当の看護婦さんが“A君は大変な努力家です。本を読むことが大好きでいつも本を手放さないけれど、自分の萎えた手で一冊の本を持つことができないので、自分で持てるだけの頁数に本を割いて読んでいます…。”このような祝辞が述べられました。

私達もおかげさまで昨年6月東北で初めての福祉機器・介護用品のレンタルサービスでのシルバーマークの認定をいただくことができました。このことはA君と同じく自分達でできる精一杯の努力が認めていただいたものと深く感謝しております。

今年も社員一同思いやりをもって一冊の割いた本の努力を続けていく所存です。

1992年

雪のしんしんと降るある日、一人暮らしのおばあさんの家へ給食を届け、しばらく話し込んでしまいました。さて帰る時に、縁側に置いておいた履物の上に段ボールが乗っていて、いつの間にか吹き込んだ雪で白くなっていました。「風に運ばれた段ボールがうまいぐあいに…」と思い、段ボールに手をやると段ボールの下は乾いていたのです。手洗いに席を立たれたおばあさんがそっとかぶせてくれた段ボール…。給食サービスという形で届けに伺った私なりの親切に、おばあさんはこのようにさりげない思いやりを返して下さったのです。

1991年